そのような人間は、隣人に対する感情を全く持たない。そして隣人が話すことを理解しない。何故なら、自らの感情、思考、言葉、行動の無秩序と、粗野で貪欲な感覚のせいで、見通す力がないために、自分自身を理解できないからである。そのような人間は混乱している。何故ならその感情と思考の世界が混乱しているからである。
真実のもの、そして万物を見通したものは、あなたの神殿の奥深くで、聖域でのみ発生する。至高の聖人とともに、そして至高の聖人、神を通して。
あなたは、心の奥深くの宝の賜物をどれだけ隣人に与えることができるか、霊的な成長と成熟のために隣人が何を受け入れることができるかを、あなたの中でのみ見据えて、認識する。つまり、あなたは、隣人に与えてもよい分量、ひいては隣人への恵みとなるものを、あなたの中で見据えたり聞いたりする。
知りなさい。あなたが「神による存在」となったら、すべてのこととすべての者があなたの中にある。あなたは、あなたの中であなたを通して、見据えたり聞いたり、匂いを嗅いだり味わったり、触れてみたりする。何故なら、外側にあるものの内に隠れたものはすべて、あなたの中の生命だからである。
だから、あなたの中に住みなさい。そうすれば、あなたはすべての中に、あなた自身、自己をも見据える。何故なら、あなた自身が自己であり、「神による存在」であるから。ひいては、すべてが自己であり、「神による存在」で あるから。そうすると、あなたは鉱物の中で、植物・動物の世界、天体の中で、真の自己の一部を見据えることになる。そして、光として、力として、あなたの一部として、純粋な者であるあなたの中で、あらゆる純粋なものを認識する。外側のものの中にあなたが見据えるものは、あなたと同様に、その奥深くに光と力を持つ。それはつまり、あなたの中にある本質で、あなたの一部である。
この高尚で繊細、かつ純粋な意識の中に生きる人は、外側の生命形態を軽率に壊すことはないだろう。何故なら、そうすることが自分の中にあるその部分の生命を妨げることになるからである。もしそうするなら、その人は自分の役に立たないと思うことすべてを壊そうとする愚人になってしまう。このように外側を扱うことによって戦争や殺人、不和が起こってきた。
それが意味することを認識しなさい。軽率に人間や動物、植物を殺すことは、あなたが自分の中のそれらに陰をつくることであり、自らの生命を妨げることになる。そしてあなたは、周囲に対して破壊的に働きかける利己的な人間、つまり愚人であり続ける。
あなたは、あなたの中でのみ、すべての中の「神による存在」を見据える。そのため、あなたは周りを見る必要はない。あなたは自らの中に深い視野を持っている。
天にあるものは、地上にもある。単に神から離れているだけである。神の法則とは、無私無欲の非個人的な愛である。神は与え、献身し、誰にでも均等に与える。
種と収穫の法則は、自己愛によって起こったものである。個人本位の愛である。この愛は、「ある人が、他の人よりも私の近くにいる。私に近い人のほうが多くを手に入れ、他方の人が得るものは少ない」というものである。これが、個人本位の愛、自己愛、利己的な愛である。
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