あなたが認識した襲いかかる思考がどう反応するかによって、あなたは誘惑者の反応に気づくことになる。あなたからの無私の賜物が共鳴を得て、受け入れられたと感じるなら、さらに多くを与えなさい。それから、誘惑者にキリストと神の意識について教え、あなたの内なる神殿に戻りなさい。
そこで、つまりあなたの心の奥深くでは、人間の思考や反応を立ち入らせてはならない。あなたの心の奥深くで誘惑者の善なるものを守り、時とともに動かしていきなさい。そうすることでその誘惑者に万物の法則を送ることになる。あなたは、その誘惑者に無私無欲の愛の賜物を送るのである。しかし、あなたは受け取りに行ってはならない。それは、神キリストと、神の息子、つまり誘惑者がすることである。
あなたの隣人がどのように振る舞うか、何を送るかは、永遠の父とその息子のみが関与することである。
神殿の秩序を守りなさい。沈黙せよ!
沈黙することとは静寂の中に留まることである。
聖域の中に、神の中に住む人を通して、神は生き、話す。
神の神殿では、人間の思考は存在し得ない。
考えることなく、つまり沈黙したまま、
あなたの中に留まりなさい。
考える時は、神聖なることを考えなさい。
話す時は、神の法則、つまり神聖なことを話しなさい。
神聖なものだけを、あなたの隣人が生命の法則の賜物を望んでいる時のみ、語りなさい。
覚えておきなさい。
あなたの純粋な感情、純粋な思考は神聖なるものである。
あなたの無私無欲で高尚な、倫理的な感覚は優れたものである。
それらは万物を理解するため、天に伸びるアンテナである。何故なら、あなたは「神による存在」の中、天の中に生きていて、天から受け取るからである。
決して隣人を見てはならない。そうしてしまうと、あなたは自分自身のみを見ることになる。あなたは、自分の心の奥深く、聖域から自分の中を見通すことを学んで初めて、隣人の中にも浸透できるようになる。
あなたが隣人の中に浸透することができない間は、あなたの心の奥深くに隣人を受け入れることもできない。あなたの中にもある隣人の神聖なるものを開花させた時に初めて、あなたは自分の兄弟・姉妹を自らの中で知るのである。
隣人の中に浸透できない限り、隣人はあなたにとって見知らぬ人である。何故なら、あなたも見知らぬ人で、永遠の「神による存在」からは遠くかけ離れているからである。
あなたがた二人がともに浸透し合えば、あなたがた二人は「神による存在」の言葉を話すことになる。そして意識的に一つになり、神の中でも一つになる。
決してこう言ってはならない。「この人間は私にとって見知らぬ人である」と。
あなたにとって、魂を覆っているものが未知の場合、つまり見知らぬものであっても、次のことを意識しなさい。覆いの中身、つまり魂の奥深くにある純粋なものは、あなたの一部である。
あなたの兄弟・姉妹を知らないのなら、自分自身をも知らないことになる。何故ならあなたが、あなたの中にある隣人の純粋な部分を開かせていないからである。
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