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style="font-size:15px;"> 二月九日。………今日敏子が別居させてくれと申し出た。理由は静かに勉強したいからであると云い、幸い別居するに好都合な家があるので急にその気になったのだと云う。それは同志社で彼女がフランス語を教えて貰っていたフランスの老夫人の家で、今も敏子はその老夫人に個人教授を受けているのである。夫人の夫は日本人であるが、目下中風で臥床がしょうしており、夫人だけが同志社に教鞭《きょうべん》を執とったり個人教授をしたりして夫を養っているのであるが、夫が発病して以来自宅では敏子以外に生徒を取らず、もっぱら出教授を主にしている。家は夫婦二人きりで、間数は廣くないけれども、夫が書斎に使っていた離れ座敷の八畳が今は不用に帰しているから、そこに寝泊りして下されば夫人も病人の夫を置いて外出するのに安心である。電話もあるし、瓦斯風呂《ガスぶろ》の設備もある。敏子が借りてくれれば願ってもない仕合せであると夫人の方から話があった。ピアノを持ち込むのなら、離れ座敷の床下に煉瓦《れんが》でも敷いてネダ
[11]を丈夫にし、電話も切り換えができるようにし、便所や風呂場も、夫の病室を通り抜けて行くようになっていて不便であるから、離れから直接行けるように通路をつける、それも極めて簡単に僅かな費用で取りつけられる、夫人の留守中、病人の夫に電話がかかって来ることはめったにないが、あっても一切不問に附することにきめてあるから、敏子はそんなことに一々煩わずらわされないでよいと云う、そういう条件で、部屋代も安くするそうだから、しばらくそうさしてほしいと云うのである。このところほとんど三日置きぐらいに木村さんが来てブランデーが始まり、クルボアジエはすでに二本目が空《そら》からになり、そのたびごとに私が風呂場で倒れるので、敏子も愛憎《あいそ》が尽きたのであろう。深夜両親の寝室で時々煌々《こうこう》と電燈が点ともったり、螢光燈ランプが輝いたりするのも、彼女は気がついて不思議に感じているに違いない。ただし全くそれだけが理由であるのか、他にも私たちに秘している理由があって別居を欲しているのであるか、そこのところは何とも云えない。「パパが何とおっしゃるかあなたが直接聞いてごらん。パパがよいとおっしゃれば私は反対しません」と答える。………
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